養蚕の伝統と想いを紡ぐ 天皇家の「ご養蚕」 | シルクの下着・パジャマ・寝具の 繭衣 -Mayui-

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養蚕の伝統と想いを紡ぐ 天皇家の「ご養蚕」

古い歴史を持ち、かつて日本の主要産業であった養蚕(ようさん)。養蚕とは、カイコを飼育し、その繭からシルク(絹)を取る農業のこと。たとえれば、牛乳を取るために牛を飼育するようなものです。

日本書紀にはすでに関連する記載があるほど歴史の深い養蚕ですが、天皇家でも代々養蚕が行われている事をご存知でしょうか?

もうすぐひとつの時代が終わり、新しい歴史が始まります。今回は、皇室でのご養蚕の歴史についてご紹介します。

 

天皇家とご養蚕

  

 

天皇家が養蚕をはじめられたのは西暦462年。日本書紀に、雄略天皇が皇后に桑の葉を摘んでご養蚕をすすめようとした、と記述があります。皇室とご養蚕にはかなり古い伝統があるようです。

現在の皇室でご養蚕が正式にスタートしたのは明治4年。明治天皇の皇后、昭憲皇太后陛下がお始めになられたのが最初です。鎖国が解かれ、外国との貿易が盛んになり始めたこのころ、シルク(絹)は最大の輸出品でした。日本にとって非常に重要な役割を果たしていたのが養蚕業だったのです。

 

皇室のカイコたち

 

カイコにも野菜や果物のように、いくつかの品種があります。皇室で育てられてきたカイコは「小石丸」という本種で、奈良時代から続いている日本古来の在来種です。

大正天皇皇后、貞明皇后陛下がまだ皇太子妃だったころ、東京養蚕講習所(現在の東京農工大学)をご視察なさった際に献上されたものが始まりだったと言われています。

小石丸のご養蚕は貞明皇后陛下から、昭和天皇皇后である香淳皇后陛下へ受け継がれ、皇室のご養蚕の伝統となっていきます。もちろん、現在美智子皇后陛下の代になっても続いています。

小石丸からとれる生糸は非常に細いもので、毛羽立ちが少なく糸の張りがとても強い高級品。その品質の良さから最上級レベルの生糸として重宝されてきました。

しかし、小石丸一頭からとれる生糸はわずか約500m。他の品種のカイコと比較して半分以下で、飼育も非常に難しいため採算が取れず、小石丸を飼育している養蚕農家はほとんどいなくなってしまいました。

このような業界の流れを受けて皇室でも、小石丸のご養蚕を中止した方が良いのではないか?と検討されたこともありました。

しかし美智子皇后の「奈良時代から受け継がれてきた小石丸の伝統をここで絶やしてはいけない」との想いから、存続を強くご希望。現在にいたるまで小石丸の絶滅の危機は免れたのです。

 

紅葉山御養蚕所の歴史

 

皇室でご養蚕が行われているのは、皇居内にある「紅葉山御養蚕所」で代々行われています。

明治4年にご養蚕が再開されたとき、最初の御養蚕所は吹上御所内に建てられました。一時は火災や戦争などで休止していましたが、明治12年に英照皇太后が青山御所内に新設。無事に御養蚕が再開されました。

現在の紅葉山御養蚕所は大正4年に貞明皇后陛下が親切したもので、香淳皇后陛下、美智子皇后陛下へと引き継がれ、現在に至ります。

復活したご養蚕や御養蚕所は戦火などにより一時中断を余儀なくされたこともありました。それでも歴代の皇后陛下たちは御養蚕を絶やしてはいけない・伝統や種を存続させなくてはいけないという強い意志で、何度も何度も蘇らせてきたのです。

伝統だけではなく、養蚕・シルク(絹)に対する強い想いと愛が今もなお引き継がれているのですね。

 

現在の皇室の御養蚕

 

現在は皇后・美智子さまが紅葉山御養蚕所で春から夏にかけてたずさわっておいでです。

給桑(きゅうそう・カイコにえさとなる桑の葉をあたえる作業)・上蔟(じょうぞく・繭を作ろうとしているカイコを移す作業)・繭かき(できあがってきた繭をとる作業)など、養蚕に欠かせないほぼすべての作業にたずさわっておられます。

ご養蚕が始まる季節になると、紅葉山御養蚕所で「御養蚕始の儀」が厳かな雰囲気の中執り行われます。生まれたてのカイコを蚕座(さんざ・カイコを育てる場所)へ羽ほうきを使って優しく慎重に掃きおろしになり、赤ちゃんカイコでも食べやすいように細かく切り刻んだ桑の葉をお与えになります。

この儀式は「掃立て」と呼ばれ、皇室の行事でもとても重要な儀式になっています。

「御養蚕始の儀」から約10日ごとに、ご給桑が行われます。カイコが大きくなるにつれてご養蚕は忙しくなり、初めは細かく刻んだ桑の葉ですがしだいに葉ごと、枝ごとと大きくなっていきます。美智子さまはこの桑の葉をお忙しいご公務の間に皇居内の桑園で自ら、剪定から収穫までをなさっているそう。

美智子さまはカイコをとてもかわいがっておいでで、小石丸の飼育の中止案が出た時も、小石丸の繭の美しさ・かわいらしさをいとおしくお思いになっていた美智子さまは「日本の古いものをもう少し残しておきたい」とおっしゃったと言います。

ご養蚕の期間中、時間をお作りになってはカイコのお世話をなさり、蔟を藁でていねいに編んでおられる美智子さま。飼育の非常に難しい小石丸がいまもなお飼育できているのは、美智子さまのカイコに対する深い愛とご養蚕への並々ならぬ思いがあるからこそなのかもしれません。

ご養蚕でできた生糸を使ってつくられたシルク(絹)は宮中祭祀にはもちろん、外国からのお客様への贈り物として使われています。伝統を守って作られたシルク(絹)はいまも国際交流の一端を担っているのです。

 

ご養蚕の未来

 

美智子さまが中心となって行われているご養蚕ですが、時には眞子さま・佳子さまがお手伝いなさることもあるそう。そして今年5月、宮内庁は「皇室の御養蚕は美智子さまから雅子さまへ引き継がれる」ことが正式に発表されました。

雅子さまはお体のすぐれない日々が続き、美智子さまも雅子さまにご養蚕を継承してほしい・・・という想いを秘めながら、無理はさせたくないとお悩みになっていたといいます。そんな美智子さまのお気遣いにご恩返しをしたい、と雅子さま直々に継承のご意志を伝えたのではないかと宮内庁関係者。

母の日である5月13日、雅子さまは御養蚕所に足をお運びになり、美智子さまのご養蚕のご様子をご覧になったそう。美智子さまは愛子さま・悠仁さまのご誕生の際、ご自身でお育てになった小石丸の生糸を使ったシルク(絹)の産着を贈られました。美智子さまのかねてからの夢だった雅子さまとご一緒のご養蚕の作業は、美智子さまにとってはかけがえのない「母の日のプレゼント」になりました。

これから愛子さまも雅子さまのご養蚕をお手伝いする日が来るかもしれません。そしてまた次の世代へと、雅子さまのお手からご養蚕が引き継がれていくことでしょう。

 

愛と伝統を伝えるご養蚕

 

美智子さまはこれまでいくつもご養蚕についての歌をお詠みになっておられます。

皇室の仕事のひとつではありますが、美智子さまにとってご養蚕は忙しい公務の合間にほっと一息つける、静かな癒しの時間であったのかもしれません。

かつて日本の基幹産業であった養蚕。皇室のなかで静かに行われてきたご養蚕は、わたしたち日本人にとって大切なもの・忘れてはいけないものを教え続けてくれているのではないでしょうか。それは伝統であり、自然の大切さであり、美しさであり、様々です。皆さんは、どんなことを感じますか?

小石丸は高級繭としての地位を取り戻し、現在は日本の各地で小石丸の飼育が再開され、ブラントシルク(絹)としてたくさんの人に愛されるようになりました。皇室のご養蚕は何度時代がうつり変わっても、日本の養蚕という農業の歴史・伝統を伝え続けていくことでしょう。