明治時代以降、日本の産業を支える基幹産業として発展してきた蚕糸業。海外にも広く輸出され、日本経済に大きく貢献してきた歴史があります。
しかし現代では養蚕家や製糸工場、絹織工場は大幅に減少し、シルク(絹)の原料である繭や生糸はほとんど中国からの輸入に頼って作られています。
かつて一大産業であった国産のシルク(絹)はこれからどうなっていくのでしょうか。純国産シルク(絹)をめぐる現状と未来への取り組みについて、今回は見ていきたいと思います!
日本のシルクの歴史
シルクの伝来
日本では、弥生時代にはすでに養蚕が行われていたと考えられています。古代の女王、邪馬台国の卑弥呼へ中国からの返礼品として、最高級の絹織物が贈られたという記録も残されています。
その当時の古墳などから出土された絹織物は中国製のものと異なっており、このころからすでに国内での養蚕・製糸・染色などの技術が発達していたと考えられています。その後大化の改新の頃に中国や朝鮮半島から中国の先進技術が持ち込まれ、日本中に広まったとされています。
製糸産業の歴史
中国産の生糸には及ばなかった品質の日本製の生糸でしたが、江戸時代になると急速に品質の改良が進められ、開国後に海外との貿易が始まると、日本産の絹製品は欧米諸国で重宝され、重要な輸出品のひとつとなっていきました。最盛期には日本の輸出品のうち86%が蚕種と生糸になっていたそう。
1872年に政府が富岡製糸場での操業を開始、当時は製糸工場として世界最大規模であったと言われています。洋式の製糸機器をヨーロッパから輸入、日本の風土に最適な製糸機器の開発も進み、日本の製糸産業は著しい発展を遂げていきました。富岡製糸場で働いていた工女たちがそれぞれの地元に帰って技術を伝えたことも、日本のシルク(絹)産業の発展に一役買っていたようです。
1974年に当初の約80倍の生産量を記録した富岡製糸場でしたが、レーヨンやナイロンなどの化学繊維の台頭におされ製糸業は衰退。1987年に生産をやめ、115年物長い歴史に幕を閉じました。
2014年に世界遺産登録された富岡製糸場は養蚕やシルク(絹)の歴史を知る遺跡として、いまでは多くの観光客や地元の人々に親しまれています。
現在の日本シルク(絹)業界
製糸産業の衰退
ピーク時には日本中に1800社以上もあった製糸工場でしたが、現在ではわずか7社しか操業していません。原料である繭を作る養蚕農家も昭和4年には約220万戸でしたが、現在は東日本を中心に500戸ほどにまで減少。日本人の和装離れが進み、シルク(絹)そのものの需要が減ってしまったこと、中国からの安くて良質な輸入品に押されていることなどが原因だと考えられています。
養蚕農家の高齢化も進み、70歳以上の農家が大半だとされ、新規参入や復活農家も極めて少なく、日本のシルク(絹)業界は危機に瀕していると言えます。
純国産シルク(絹)の現状
日本で流通するシルク(絹)のうち、国産の繭が原料となるものはわずか1%にも満たないそう。
そんな中、希少な国産の原料を使ってつくられた「純国産シルク(絹)」の価値を広めていこうという動きが始まっています。和装文化が見直され、若い人の間でも和装がブームとなっているいま、日本国内に繭生産がない状態は望まれていないもの。「シルク(絹)産業」が産業として存続できる状態を目指し、シルク(絹)の業界団体「大日本蚕糸会」が純国産のシルク(絹)のブランド化を始めたのです。
見直される純国産シルク(絹)の価値
純国産絹マーク・日本の絹マーク
和装文化や「日本のものづくり」が見直されつつある現在、日本産の蚕・繭・生糸を使った純国産シルク(絹)は、「全て日本製の生糸を使用している」と大日本蚕糸会が認めたものについて、純国産の証である「純国産絹マーク」をつけています。
また、海外から輸入した生糸から国内で生産した着物などの染めもの・織などの和装品、製織・染色・加工・縫製されたシルク製品を広めていくために「日本の絹マーク」を制定し、国内で生産されたシルク(絹)をアピールしています。
純国産シルク(絹)の可能性
シルク(絹)の国内需要は減少傾向にありましたが、近年横ばいからやや増加の兆しにあります。和装文化の見直しなどの影響も考えられますが、シルク(絹)を使った新しいマーケットの改革が大きいといえます。
現在さまざまな分野で研究・開発が進められており、化粧品や医療関係、食品へのシルク(絹)の新しい可能性が見出されています。シルク(絹)配合のスキンケア用品なども多く発売されていますし、肌ダメージが少なく清潔に着用できる性質を生かし、ガーゼや包帯、手術用縫合糸などへも利用され、縫製技術の発達はわたしたちの生活に関係するあらゆるテキスタイル製品への利用など、多種多様な用途へ開発が進められているのです。
日本ならではの品質
国産の生糸の製造方法には「諏訪式」「上州式」の2種類があります。諏訪式は比較的均質な糸に、上州式はかさ高な糸を作るのに適しており、それぞれ機械式の糸に比べて柔らかくてかさ高性に富んでいて軽く、光沢も美しく染色性に優れています。自然な糸むらでしわにもなりにくく、着物や手織りのシルク(絹)製品には欠かせない存在です。
日本の繊細なものづくりの心が多くの人に愛され、やがては国内のシルク(絹)市場の再興につながっていくことでしょう。
大量生産からの脱却
ピーク時には大量生産・低コストが求められていた製糸業界。しかしそれだけでは、輸入物の手ごろなシルク(絹)とは勝負できません。現代の多様な価値観のなかで国産シルク(絹)は、数が少なくてもニーズに可能な限り応えていく方向へと変化していきました。
機会で大量生産すればそのぶん利益も大きくなります。しかし日本の伝統的な製糸技術をかたくなに守り続け、丁寧に縫製・加工することで織や染色にこだわりをもつ織物のクリエイターたちに支持され、個性的で特別なシルク(絹)製品へと生まれ変わることで純国産シルク(絹)としての価値を高めていくことができるのです。
純国産シルク(絹)のこれから
新しいシルク(絹)産業の誕生
新しいシルクの取り組みも始まっています。国内最大の養蚕施設が2017年に熊本県山鹿市に誕生。無菌室・人工飼育で年間を通して安定した養蚕ができる「シルク・オン・バレー(Valley・盆地)」というプロジェクトです。
伝統的な蚕糸業を継承しながら、シルク(絹)の新しい可能性を切り開いていくという、シルク(絹)業界の発展を目的としたもの。蚕のエサとなる桑から繭まですべて地元産、すべて無農薬。最先端の技術を駆使して新しい純国産のシルク(絹)産業の創生・拡大で未来を切り開く大きな一歩として期待されています。
純国産シルク(絹)の未来
日本の発展に大きく貢献してきたシルク(絹)産業。最盛期の約1割ほどしか稼働しなくなってしまいましたが、伝統を守り続け大切に、丁寧に作られてきたシルク(絹)の価値は品質・文化と多岐にわたります。
残されたシルク・新しくつくられるシルクが手を結び、日本のシルク産業の再興に奮闘しています。さまざまな用途に研究開発がすすめられ未来が広がっていく純国産シルク(絹)ですが、まずはわたしたち日本人が国産シルク(絹)の良さを知ること。
蚕と繭が育み続けてきた自然の恵みと、日本人が受け継いできた繊細でたしかな製糸技術。日本の文化と歴史、技術で手間暇かけて丁寧につくられた純国産シルクの伝統と、未来への取り組みについてもっと知って、まずはわたしたちの生活から日本のシルク(絹)を守る第一歩を踏み出していきたいですね。